潜水作業について ロシア潜水艦への救助活動では潜水夫が活躍しています。潜水夫という言葉は古いですかね?夫ですからIMEでもあまりまともに変換してくれませんからね。 さて、現在の作業は飽和潜水という技術を使っての作業でしょうね。何しろ100mを越える水深の中での作業ですから。 潜水作業の歴史を振り返ってみると、海の幸を求めてのさざえ、あわび、真珠などを取るとかいう素潜りによる潜水漁業が非常に長い期間続いています。日本でも万葉の昔のそのまた昔からやっているわけですね。 潜水具の方はどうですかね?伝説的なものとして、紀元前332年にアレクサンドロス大王Alexander the Greatが鐘のような形をしたダイビング・ベルでもぐったとかありますね。 レオナルド・ダ・ビンチも潜水具のデッサンを残しています。これは運河の水門とかそういったものの検査修理に使うための物のようです。長時間水中にとどまり、そこで何かするという要求の賜物ですかね?今回の救助活動でも活躍が期待されるダイビングベルですね。原理は大昔から変わっていないというわけです。 ダイビングベルの歴史についてはHistory of the Diving Bell (Historical Diving Times No. 21)に興味深いものがありますからこちらに譲るとしましょう。ざっと訳したのですが、あまりにも長文なものでね。 さて、人間が水中である程度自由に潜水活動ができるようになったのは、ヘルメット潜水器の登に始まります。この潜水具の原型は、1819年イギリスのオーグスト・シーベA. Siebeの考案から始まります。そして、送気ポンプやさまざまな装備の開発によってサルベージや潜水漁法への応用などが行われるようになります。このように普及が進むと、長時間の潜水により潜水病が顕在化します。この潜水病、減圧症の病理も1878年に明らかになり、この減圧症の有効な予防法としての減圧表も1906年に完成します。 深海への飽くなき欲求は1935年に、空気、すなわち酸素と窒素の混合気体からヘリウムと酸素の混合気体を用いることで深度の壁が破られます。このときは122mの潜水をアメリカ海軍は行っています。 1943年クストーJacques-Yves CousteauとガニヤンEmile Gagnanが共同で水中肺とかスキューバ、商品名アクアラングを発明します。これにより、人間の水中での活動は一段と自由になります。まあ、軍事目的が大きいですがね。何しろ上陸作戦などで上陸地点での海中障害物の撤去とかありますからね。 そして第二次世界大戦になると各国の海軍に潜水部隊(フロッグマン)が創設されるということになるわけです。そこで培われた潜水技術の教育訓練体制が戦後のダイバーの質と量を飛躍的に伸ばしたということがいえましょう。 さて深いところではなぜ普通の空気じゃダメなのか?それは水深も40m以上になってくると、窒素が血液中に溶け込むようになってきます。そしてこの窒素が麻酔作用を引き起こし、まともな精神活動ができなくなるようです。そのため麻酔作用がなく呼吸抵抗が低いヘリウムを窒素と置き換えてやるというわけです。ただ、声が甲高くなるという欠点がありますがね。そういえば、声色が変わるってヘリウムを詰めた袋が売っていましたが、窒息事故があって見られなくなりましたね。 さて、こうして、深海への備えができました、これともう一つ重要なことがあります。大水深、つまり高圧下の滞在時間が二十四時間を過ぎると、体内に溶けるガスの量は飽和し、減圧に必要な時間もそれ以上増加しなくなるということです。このヘリウム混合酸素を呼吸しながらの長時間潜水を行うことの経済性がわかったというわけですね。この潜水法を飽和潜水と呼んでいます。そして、今回のロシア原潜の救助活動でもこの技術が大活躍しているというわけですね。 さて、なぜノルウェーなんですかね?北海油田の開発の関係ですかね?海底油田の開発には深海潜水システムと呼ばれる、居住区としても使われる減圧タンクとこれに直結できる加圧された水中エレベーターだか潜水鐘とかで構成されたものが必要ですから優秀な組織をもっているのでしょうね。 北海油田開発関連だと、イギリスとノルウェーなんですかね。 |