人は何のために生きるか? ちょっと自己顕示欲を満足させるものというやつが気になります。どうも、人間というやつは他人にかまってもらえないとダメなような気がします。まあ、職業柄ガキを相手にしていたのが長かったせいでしょうがね。しかし、面倒なものです。 一応、簡単な類型を上げておくと良いかもしれませんね。最悪なのは、注目を浴びるために悪さをするやつ!こいつは最悪です。授業中立ち歩くとかをはじめとして、奇人変人をやってくれますね。まあ、自己に対して怪奇な行為を行うとか、騒いでぶん殴られることに快感を感じるとかそういったのも疲れるので大変です。かといって期待にそむくとまた厄介です。ただ、こういった自分をいじめちゃう系のやつは御し易いですね。だって、何か他のやつらに対して良いことをしたと誇れるときに、たくさ誉めて殴っちゃう!なんて良いのですね。ここで初めて誉められる喜びを感じ、今までの行いを反省してくれますからね。まあ、殴ったら即謝って、いつも殴られることばかりやっているからついね!なんてとぼけて、頭をなでなですると、たいてい問題児からの復帰が見られます。まあ、こういった繰り返しを数回繰り返すと、ちゃんと社会復帰するようですね。おっと、殴るっていっても拳骨で思いっきりなんかしませんよ。だって、拳骨はいったんへこませますが、その後盛り上がってきて瘤という跡が残りますからね。平手で髪の毛のあるところをひっぱたくのが一番ですね。ひっぱたくときも、手が真っ赤になるようにひっぱたき、手が赤くなることを示すと恨まれずに済むようです。棒とか加減のわからないものでひっぱたくと恨まれますからね。この辺可笑しなものです。痛みを共有することも重要なのかな?なんて思ったりもしますね。 わ!これでは暴力教師ですね。しかし、人間的な痛みの感覚とか頭をなでなでの心地よいもの、そして、良い行いをしたときに誉められる喜びとかを知らないと、やっぱり歪むような気がします。反社会的な人間って、多くは認められないことによって歪みそして自滅していくような気がします。 さて、近頃気になることがいくつかあります。それは、ネットというバーチャルな世界での人間関係ですね。ここでの毀誉褒貶ってなんでしょうね?返事が返ってくること?なんでしょうね?何しろ肩を叩くとかそういった感覚を持ちませんからね。そういったものを超越し他理性的な感覚?それとも、単に眺めるだけ?きわめて不毛な人間関係かもしれませんね。 逆に言うと、それだけ自由な空間なのかもしれませんね。しかし、自己主張はどうやって?自己顕示欲はどうやって満足させるか?問題ですね。表現手段の限られた空間での自己主張というものは?ごく限られた人間の特権かもしれませんね。こういったことを考えると、自己表現の手段って社会による制約が大きいのかもしれません。 しかし、厄介な時代かもしれませんね。その昔70年代は学生運動だとか、力いっぱい活動できる舞台がありましたが、今ではどうなっているのやら? 演劇もバンドもちょっと下火かな?以前のハングリーさがなくなったところで、単なる趣味の領域に近づいたのか?確かに、コンビニの普及でバイト先が広がったこととかいろいろな条件があるかもしれませんが、どうも、近頃は何をするにも中途半端な感じですね。 まあ、こういった中途半端さが現代の文化と社会を象徴しているものなのかもしれませんね。まあ、社会の表面的な変化の早さがそれを生み出しているのかもしれませんね。 こういった、なんだか言い知れぬ不安から派生している青少年の犯罪が多いような?気のせいですかね?バスジャックやよくわからない、経験としての殺人とか?飽食の時代の退屈が生み出したような事件が多いですからね。今度、特集を組んで研究をしてみますかね?そういえばカルト関連の研究もすっかりご無沙汰していますからね。 |