人権問題の解決法は? 日弁連の動きが出ましたね。以前、オウム関係者の子弟の小学校への入学に関して人権救済の申し立てがあった件でですかね?でも、以前は茨城県弁護士会が、日弁連に上げて検討を依頼した件では?今回は埼玉県での問題に関して調査が行われたというような報道です。 まあ、厄介な事件です。人権は等しく守られなければなりません、しかし、人権って互いに対立する場合そうなるんでしょうか?どちらの人権が保護されるのでしょうか?これは非常に難しく矛盾に満ちたものになりそうな気がします。 単純な例では、殺人事件が起こったとき、被害者の人権は回復不能です。それだけ深く他人の人権を踏みにじった人間に人権はあるのでしょうか?これも状況次第ですね。法で準備されているのは、正当防衛などいくつかがあります。人権はどういった存在なんでしょうね?裁判による判決で確定するのか、人権は初めから存在するのか?孵り損ねた法律家の卵には難しい問題です。 しかも、今回の例では、自由権にかかわる部分ですから厄介ですね。自由権、すなわち人間が個人の価値を確立するための権利ですね。内容的には思想の自由、宗教の自由、言論の自由、集会・結社の自由、居住・移転の自由、信書の秘密、住居の不可侵、財産権の不可侵などがこれに属するとされているようです。まず、この部分で問題が生じています。 さて、この部分を日本国憲法ではどのように定めていましたっけ?憲法11条や97条で基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と規定しています。権利の中身は、憲法19条で思想および良心の自由、憲法20条で信教の自由、憲法20条1項で集会・結社および表現の自由を定めています。 ちょっと困りましたね。どうも、地方自治の段階では違憲状態にあるかもしれません。公序良俗に反する行為を行ったことに対して、その子供も同じものとして・・・となると、前近代的な連座制の適用となるのでしょうか?連座制が適用されるのは選挙関連が生き残っているぐらいですかね。 ちょっと待てよ、この構図って国際社会での問題点と同じですね。サリン事件を宣戦布告と取れば、比較的簡単なものとして捉えられそうです。 つまり、絶対的な権力というか指導力を持った人間と、それを取り巻く集団が、資本主義的枠組みの中で成長を続ける、そして、精神的には民主的、自由を愛することの対極としての反動的とも言える宗教を軸とした集団に成長してしまった。ということでしょう。そして、その軍備に自信を得て自分を取り巻く世界に対して宣戦を布告し、奇襲攻撃を行ったということですかね。これだと、第二次世界大戦に至る日本の歩みのようでもあります。 戦後、経済大国にはなったけれども国際理解の不十分さによって世界の他の国々と貿易摩擦を引き起こし、急速な防衛力の増強で近隣諸国からのブーイングなんかもあるようですから、社会的な更生はなかなか難しいということでしょう。 もう少し、違った見方をすると、第二次世界大戦後の冷戦構造、民族紛争・南北問題のパターンにも似ています。かつての東西両陣営の対立は軍拡や核兵器開発の果てしない競争を育て、アジア・アフリカなどの旧植民地の独立はしたものの、経済格差は限りなく大きく、これに政治的・経済的・宗教的・イデオロギー的対立を要因とする局地的戦争や紛争が起こったりしています。宗教というものはそれだけ大きな原動力となりうるということなんでしょう。 国際紛争としてなら、互いの基盤としての国というものの立場が違いますから、紛争を武力の行使に至らないことで一応の成果が見られますが、国、そして法律による権利の保護という共通の基盤の上での闘争ですからどのような決着をつけることになるのでしょうか?残念ながら、基本的人権を絶対のものとするというとき、どのような判断を下すべきかわかりません。いっそのこと独立闘争でも始めてくれれば良かったような気がします。法の枠組みの外の人間という位置付けなら、国際紛争の手法が使えますからね。 |